平成29年10月9日旅す。
鎌倉に幕府が開かれると鎌倉と他の地域との交易量は増えていった。陸路で幕府に入る道は守りを固めるため切り通しで、狭かった。また、昔の大量輸送は船が主に担っていた。しかし、遠浅な海のために幕府の近くには良港はなかった。必要にかられて人工的に作られたのが「和賀江島(和賀江津)」である。相模川や伊豆から運ばれた石を積んで、3代執権泰時のときに作られた。

ただ大東亜戦争時に、砲台の台座を作るために逆に石が抜き取られた。そのため、現在では干潮時だけ顔を出すだけの島になってしまったという。
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