令和6年3月14日に旅す。
二見興玉神社の歴史・由緒によれば、主祭神は
興玉大神、別名を猿田彦大神
相殿を宇迦之御魂大神
としている。
瓊瓊杵命が天孫降臨する際、猿田彦は天の八衢で迎えて、葦原中国への先導をしたことで知られる。が、その後「吾は伊勢の狭長田五十鈴川上にいかん」と言って、この地に住まわれた。

夫婦岩
10代崇神天皇の御代に、疫病が蔓延し国が乱れた。宮中に祀っていた「天照御大神」の「神勢」が著しいので、宮中から出して祀ることにした。そのため「天照御大神」は地方を転々としていた。最後に11代垂仁天皇の皇女倭姫命が「天照御大神」を奉戴されて、二見浦に船を泊められた。そのとき、興玉大神は海上の厳島に出でまされ、天照皇大御神の御神幸を守護し、天照皇大御神は五十鈴の川上に大宮地を定められました。この厳島を大神の坐す島と崇め敬い興玉神石と尊称して、有名な「夫婦岩(めおといわ)」に注連縄を張り、これを鳥居に見立てて、その手前に礼拝所を設けた。興玉神石は、「夫婦岩」の沖合700mの海中に鎮まっている。
安政の大地震(1854年)に玉置神石の部分が沈降して、現在では4月の大潮の際に見えることがあるという。興玉大神は未来永劫、皇大神宮大宮地の守護神として御分霊され、内宮御垣内の二見興玉神社に興玉大神が結果として奉斎せられるに至った。

二見興玉神社
一般的には二見興玉神社は禊の霊場であり、二見浦で禊ぎ(沐浴)して身を清め穢れを祓ってから、伊勢神宮に参拝するのが古くからの慣わしになっていた。

参考:


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