井上内親王が伊勢に下向する前の724年(神亀元年)に首皇子が聖武天皇として即位した。
728年(神亀5年)聖武天皇の第2皇子として安積親王(母は夫人県犬養広刀自:井上内親王の実母)が生まれた。聖武天皇の唯一の皇子であり、皇太子の有力候補であったが、非藤原系であるからと考えられるが、738年(天平7年1月13日)に阿倍内親王(母:光明皇后〈光明子〉)がはじめての女性・皇太子となった。
744年(天平16年:井上内親王34歳)、弟・安積親王の薨去により、斎王の任を解かれて平城京に戻った。
通常、伊勢神宮の斎王は後日結婚することは少ないが、井上内親王は白壁王(天智天皇の孫でありかつ、天智天皇の子の志貴皇子第6皇子)の妃となる。白壁王は皇族としても叙位が遅く、当初は皇位につく可能性も低いと思われ、藤原氏がからんだ勢力争いに巻き込まれることは少ないと井上内親王は考えていたのではないかと思われる。続日本紀によれば、皇位を継ぐ人がきまらなかったので、人々はあれかこれかと疑って、罪し廃される者が多かった。(光仁)天皇はこうしたことから思いがけない災難にあうことを用心して、或いは酒をほしいままに飲んでは行方をくらまし、それによってたびたび害を免れたという。
754年(天平勝宝6年)に酒人内親王が誕生。
761年(天平宝字5年)他戸親王(第4皇子)が誕生。
770年(神護景雲4年8月4日)称徳天皇が崩御。生涯独身で女系天皇の称徳天皇には直接の後継者はなく、薨去した。称徳天皇の遺宣(遺言の宣命)により62歳の白壁王は皇太子となった(詳細は別述)。
770年(宝亀元年10月1日)白壁王は大極殿で即位した。
続きはまた。


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