皇武神社(神奈川県相模原市中央区淵野辺本町)

令和5年11月26日に旅す。

御祭神は日本武尊。

神奈川県神社庁によると、創立年代は不詳で、社伝によると創建は極めて古く、12代景行天皇の第3皇子日本武尊が勅命により東征の砌り(みぎり)にこの地をお通りになったときに、にわか雨に遭い、沼辺の人家に立ち寄った際に、甕で造った酒を奉持したと申し伝えられている。現在でも祭典の節にはこの礼に倣い、甕にて御神酒を奉る習慣を残している。

皇武神社鳥居

昔は、古御嶽(御嶽神社:小宮)と称していたとされ、宮の位置も現在よりも境川沿いにあり、北向きに参道が延びていたという。明治の神仏分離令により、皇武神社(「みたけ」に「皇武」という漢字を当てたともいう)と改称、淵野辺鎮護の神として、村社に列した。さらに明治10年には、境川の水禍を避けるべく現在の位置に遷座した。

この神社の北には、南北朝の頃、淵辺義博の館があった。武将淵辺判官義博は特にこの社に信仰篤く出陣に際しては幣帛を奉持戦勝を祈願した。

神仏習合のためと思われるが、この神社には釣鐘がある。文化年間に作られた釣鐘は村人たちに大切に愛されてきたが、戦時中、お国のために供出した。昭和51年、遷座百年記念として新しく釣鐘が奉納された。

相模原は台地で、関東ローム層の上に黒土があるので、水はけが悪く、水田には適さない土地であった。農民は畑で麦、あわ、ひえなどを育てており貧しかった。江戸初期に五街道の甲州街道ができてから、隣町の八王子が絹織物の町として発展し、相模原でも絹糸の生産を求めらた。商品作物として「絹(繭)」を生産できるようになり、直接お金を得ることができるようになったので、相模原の農民は少しずつ豊かになっていった。このことに関連してこの神社では、養蠶(ようさん)の守り神として、祭神ではないものの「蠶守神大神」が祭られてきた。特に明治時代から「おぬきさま信仰」がはじまり、これは遠く埼玉や群馬にも影響を及ぼし、信仰されてきた。

蠶守神

むかしこの神社の氏子の家で養蠶の作業が忙しい時期に人手がいなくて困っていました。そこへ神主の娘が手伝いに現れ、てきぱきと仕事を片付けていきます。ところが仕事が一段落すると娘はたちまち白蛇となり、神社の拝殿の中へ消えてしまいました。これは神社の神様が神主の娘に姿をかえて手伝いにきてくれたものだったのです。養蠶の時期になると蛇のお札と娘の人形「おぬきさま」を受けに大勢の人々がこの神社を訪れました。というのが、「おぬきさま」にまつわる話です。

おぬきさま信仰
参考:

神奈川県神社庁

みうけんのヨコハマ原付紀行

陽気楽観

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