歴史の扱い

歴史

「歴史」とは、基本的に過去に起こった事象を扱う。過去の事象の詳細について把握するためには、何らかの史料を必要とする。史料というと紙に書かれた文書や文献がすぐに思い出されるが、考古学的に発見された遺跡、遺構、遺物や金石文、口頭伝承(口伝)、絵画、録音、映像(写真、動画)なども含まれると考える。また、日本でもそうだが、どの国でも神話と歴史の境がはっきりしていない。文書や文献に示されていない史料や神話も含めて歴史として記述していきたい。

ここで注意が必要なことは、これら史料のひとつひとつが、歴史の研究を行う上での有効性・信頼度(信憑性)があるかを、それぞれ見極める作業(史料批判)も必要とされる。史料の重要度の目安になるものとして、その史料が「いつ」「どこで」「誰が」書いた(作った)ものかに重きが置かれていて、「そのとき」「その場で」「その人が」の三要素を充たして作成された史料は、「一次史料」と呼び、それ以外を「二次史料」と呼び区別している。したがって、「一次史料」が重要視されている。「一次史料」には、上記以外に日記、書翰や公文書なども含まれる。

しかし、「一次史料」であっても、「その人の立場」や「考え」などのために客観性を欠き、かなりバイアスがかかっている場合もある。以上のような理由から、いかなる史料であってもそれらの扱いには注意を要する。

いずれの史料を利用するにしても、利用する側の「立場」や「考え方」なども考慮すると、同じ歴史の事象を記述するとしても、異なった多くの解釈の仕方があって当然である。

さらに戦争なり政争なりのイベントがあった後に書かれた歴史は、その勝者がその歴史(そのイベントもしくはイベント以前の物語)を記述するのが常である。したがって、勝者にとって都合の悪いことは隠蔽されるか、マイルドに糊塗される。敗者は“悪魔のように”徹底的に悪者化されることが多い。また、理念(こうあるべきだ、こうあってほしい)を先行させて、意図的に真実から目を背ける(真実に目が向かない)ようにしようとしている方たちも少なくない。

 前述のそういったことを前提として、私は歴史の専門家ではありませんが、ここでは独自の考えを含めて考えを深めていきたい。

 

 

 

 

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