令和8年5月28日旅す。

正式名称を「大甕倭文神社(おおみかしとりじんじゃ)」という。
拝殿・祭神:武葉槌命(たけはづちのみこと:建葉槌命)、甕星香香背男(みかぼしかがせお)
本殿・祭神:武葉槌命(建葉槌命)
甕星香香背男神社・祭神:甕星香香背男
紀元前660年創建(社伝)。
はじめは、大甕山(現在の風神山付近:現在の大甕神社から1kmあまり北西)の山頂に創建されたといわれる。1695年(元禄8年)に水戸藩第2藩主水戸光圀の命により、現在の地へ遷座されたという。

拝殿から本殿への表参道は、岩場を鎖を使って、よじ登っていく。この岩は巨大な岩で、拝殿・本殿などがその岩の上に位置しており、日本で最も古い約5億年前のカンブリア紀のものと考えられており、大甕神社の名前の由来ともされる磐座であり、「宿魂石」と呼ばれる。


祭神のひとり、甕星香香背男は別名・天津甕星ともいわれ天津神ともされているが、この土地を守っていた地主神とも考えられている。天津神・最強といわれ、出雲の国譲り神話で「建御名方」をいとも簡単に屈服させた「建御雷神(武甕槌神)」と神武東征で神武天皇に下賜された「布都御魂」という剣を神格化したものともされる「経津主神」とが、二人がかりで戦っても甕星香香背男を服従させることができなかったといわれる。日本書紀によれば、『二神(建御雷神と経津主神)は邪神や草木・石に至るまで皆平らげられた。従わないのは、星の神の香香背男だけとなった。そこで建葉槌命を使わして服させた。』という。ただ、建葉槌命は、神社名の一部を成す「倭文(しとり)」といわれる文布(あや)を織る織物の神であるとされ、男神とも女神ともいわれており、甕星香香背男を抑えた方法も憶測や伝承の域を出ず、諸説ある。
つまり、大甕神社は、敵対すると考えられる祭神をともに祀っていることになる。
建葉槌命を祀る本殿は、「宿魂石」のいただきに鎮座している。建葉槌命は、「宿魂石」がいわゆる「要石」として機能して、その頂点に君臨して最強の荒ぶる甕星香香背男を封じ込めているとも考えられる。
甕星香香背男神社には甕星香香背男のみが祀られており、地主神としても地域から篤く信仰を受けてきたことが理解できる。
少し横道にそれるが、その一方で、「経津主神」を祀る香取神宮では、「星鎮祭」が行われ、これは経津主神が国を平定した際、最後まで抵抗した星の神(甕星香香背男とされる)を弓で討伐したことに因んだ神事とされている。弓矢で大きな星的を射って、その後星の神の霊を鎮めるという。建葉槌命の手柄を横取りしている感じも受けないではない。

境内には悪縁を断って開運を祈願するという「境界石」がある。祈願札を貼付し「境界石」をくぐると、願がかなうという。この祈願札に物部氏の影が見て取れる。この札には「布留部由良由良止布留部」という一節が見える。これは、十種祓詞(とくさのはらえことば)といわれる「石上神宮」で用いられる、死者をも蘇らせる霊力が宿るとされる神道の祝詞の一部であるからだ。
境界石の話は、後から習合したものとも考えられるが、蝦夷と朝廷との戦い、中央を離れてきた人々の想いなどがつまっている、興味深い神社であると思った。

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