令和6年4月28日旅す。
ここは太秦(うずまさ)にある神社で、国宝第1号である「弥勒菩薩半跏思惟像」がある広隆寺のすぐ隣にある神社である。だが、明治の神仏分離の前までは広隆寺内にあったという。
雄略天皇の御代の秦酒公(はたのさけきみ)が養った蚕から、朝廷に納める絹織物をうず高く積んで献上したところから、天皇から賜った姓が禹豆麻佐(うずまさ)であり、後に太秦(これは、読み方を知らないと読めない)に変容したという(詳細は別項に譲る)。
さて、前置きが長くなってしまった。
大酒神社の由緒書によれば、祭神はなんと
秦始皇帝
弓月君
秦酒公
である。
秦始皇帝の子孫とされ、秦氏の遠祖とされる「功満王」が秦始皇帝の神霊を勧請したことがはじまりとされる。つまり、この神社は秦氏が建立したものであり、秦氏の祖先として秦始皇帝との繋がりを強調したかったのであり、そして祀ったのであろう。神社の歴史を考えると、山城(京都)でも古社の一つなのであろう。
出典:大酒神社由緒書


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